結局「誰か」っていうのは今後も重要なのか?
2022年11月30日にチャットGPTは発表された。
その後いくつものAIが発表され、画像、文章、動画などのコンテンツが自動で作れるようになっている。
更にはフィルターを通すと全く違うと言っても過言じゃない「顔」でライブ配信を行う事もできる。
50代のおばあちゃんがピチピチの20代美女になれる時代という訳だ。
だからこそ僕は「誰か」である事は重要ではなく、「何を」発信するか?が重要になる世界になると思っていた。
50代のおばちゃんがフィルターのおかげで20代の美女になっていても、そのライブ配信が面白ければそれで良い。
X(旧Twitter)でも面白いものは誰が発信しようと拡散される。
既に「誰か」じゃなく、「何を」発信しているかが重要である事例はたくさん出ていた。
つまり、とにかくコンテンツの中身勝負、質の戦いになると予想していた。
しかし、それから1年半ほどの月日が経った現在(2024年の春)世界はそこまで変わっていない。
未だに「誰か」という視点は重要である。
「ゴッホ」が書いた「ひまわり」だから良い
誰が発信しているか?でコンテンツの信用度、面白さ、質が変わる。
例えば、ゴッホが書いた「ひまわり」だから凄い。
ゴッホを知らない人に「中学生が描いたひまわりです」と伝えると、信じるだろうし、価値は上がらないだろう。
商品(コンテンツ)は同じにも関わらず、製作者で価値が変わるという事である。
ゴッホが書いたひまわりだから価値が高いのである。
もちろん当時では画力として高等技術が駆使されていたり、当時の価値観にはない部分を表現したのかもしれない。
でも、時代は進化し、ゴッホのひまわりを模写しろ!と言ったら見分けが付かないくらいの模写ができる人がいる時代だろう。
でも、ゴッホの書いたひまわりは価値が高い。
つまり「技術や品質以上に誰が書いたか?」というのが重要である
それほど「誰か」というのは重要なのです。
これからも「誰か」は重要である可能性が高い
これは今の時代も変わらない。
例えばビジネスについて一般人Aさんが「この件を解説すると〇〇なんです!」って言うより、実績や肩書きのある経営者が「この件を解説すると〇〇なんです!」と全く同じ発言をしても評価されるのは経営者の方であり、やっぱり凄いね!ってなるのも経営者の方である。
例えこの経営者が一般人Aさんの意見を聞いた後に、発言したとしてもだ。
更に先に一般人Aさんがこの件の解説をしていたとしても、このAさんはあの経営者のマネをしているだけ!とネガティブな声を当てられることすらある。
それほど「誰か」という事は強烈なパワーであり、重要な事であり、人は人に惹かれるという事でもある。
だからこそ、これからAIや合成、フィルターなどがどんなに進化しようが、「誰か」である事の証明や追求は多くなるだろう。
人はコンテンツより製作者(人間)に惹かれる方が強いのかもしれない。